ケータイ辞書JLogosロゴ 芦原村(近世)


広島県>福山市

 江戸期〜明治22年の村名。備後国安那郡のうち。はじめ福山藩領,元禄11年幕府領,嘉永6年から再び福山藩領。村高は,元和5年「知行帳」828石余,元禄12年備前検地390石余,「天保郷帳」393石余,「旧高旧領」395石余。享保年間頃の村明細帳によれば,村高390石余うち田260石余・16町余,畑130石余・15町余,年貢は笠岡浜から積み出されていたが,のち福山浜に移った。人数289,馬8・牛16。村の規模は東西4町・南北10町,田16町余のうち6町余が二毛作で,米のほか粟・稗・蕎麦・大豆・菜・大麦・小麦・木綿などが作られた。田畑の肥料には干鰯・柴肥を用い,用水は加茂川の水ならびに6か所の小池を利用するほか,北山村の七社池,百谷村の姫谷池から引水していた。ほかに高札場1・郷倉1。賀茂大明神は,社伝によれば貞観6年京都上賀茂神社別雷命の分霊を勧請したとし,幕府領下では石見国大森代官の管轄に属し,福山藩に復帰後は藩主阿部氏の祈願所に定められ,安政3年の干害の際は,阿部氏によって3日3夜の雨乞いの祈祷が行われた(郷社賀茂神社御由緒)。寺院は賀茂大明神の別当神宮寺と法光寺で,ともに真言宗。明治期の神仏分離によって開法寺と改称。明治4年福山県,以後深津県・小田県・岡山県を経て,同9年広島県に所属。明治22年加茂村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420553
最終更新日:2009-03-01




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