ケータイ辞書JLogosロゴ 阿土村(中世)


広島県>広島市

 鎌倉期〜戦国期に見える村名。安芸国安南郡のうち。官務家領阿土熊野保の阿土の地にあたると思われるが,承久3年10月8日の官使清原宣景申状によれば高倉院法華堂領世能荘内の地頭相交之地として荒山村・下世能村とともに「□(阿)土村」が見え,安南郡世能荒山荘の内に含まれる地域もあったらしい(清原家文書)。戦国期には安芸東西条の内に含まれ,大永3年8月10日の安芸東西条所々知行注文に「阿土村 七十五貫 諸給人知行」とあり,大内氏の支配下にあった(平賀家文書)。弘治元年と推定される3月26日の小早川隆景書状によれば,同年の厳島合戦の直前には陶方の野間氏に対しても毛利氏が阿曽沼氏に当地を警備させており(譜録),合戦勝利後の弘治2年10月28日の毛利氏年寄連署知行打渡状では「芸州西条之内上阿土五拾貫」以下合計200貫の地を熊谷信直に打渡すとあり,毛利領となっている(熊谷家文書)。なお,厳島廻廊棟札写によれば,天正16年9月に厳島神社廻廊一間を寄進した「西条阿土西宝寺恵秀」なる者がいたが(大願寺文書),「芸藩通志」によると西宝寺(西方寺)は江戸期に廃寺になったという。江戸初期に熊野跡村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420563
最終更新日:2009-03-01




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