ケータイ辞書JLogosロゴ 粟屋村(近代)


広島県>三次市

 明治22年〜昭和29年の自治体名。はじめ高田郡,昭和25年からは双三郡に所属。大字は編成せず。明治24年の戸数554・人口2,860。大正4年広島〜三次間に芸備鉄道(現国鉄芸備線)が開通し,当村内にも無人駅が設けられた。同5年電灯,同15年電話が初めてついた。大正8年の現勢調査簿によれば,田223町のうち51%は小作地で,生産総額24万4,326円のうち農業生産高が92%を占めており,米・麦のほか粟屋ゴボウの名で知られたゴボウ1,490貫・大麻3,325貫・楮1,375貫などがみられ,そのほかアユの水揚げが270貫・1,296円あり,有名な三次の鵜飼は当村の鵜匠によって行われていた。昭和3年それまで川舟渡しであった江の川の対岸三次町へ釣橋の祝橋が完成した。明治40年の戸数551・人口3,164,世帯数・人口は,大正9年537・3,053,昭和25年601・3,250。同29年三次市粟屋町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420628
最終更新日:2009-03-01




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