ケータイ辞書JLogosロゴ 医者町(近世〜近代)


広島県>福山市

江戸期〜昭和40年の町名江戸期は福山城下の町人屋敷地福山城の南東,北は神島町,東は中町・大工町,西は奈良屋町,南は武家屋敷地の西町町名は,当地に水野家時代,町医者の大半が居住していたことに由来するという(備陽六郡志)「備陽六郡志」によれば,町の規模は97間余・1,375坪,戸数106(本家30・表借家30・裏借家46)「福山志料」では,長さ97間余,戸数52・人数168享保7年の大火による焼失戸数50(家持30・借家20)明治21年の戸数39・人口178同22年福山町,大正5年福山市の町名となる同6年の戸数36・人口153昭和20年8月空襲で全焼同40年霞町1〜4丁目・昭和町となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420671
最終更新日:2009-03-01




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