ケータイ辞書JLogosロゴ 井関村(近世)


広島県>神石郡三和町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国神石【じんせき】郡のうち。はじめ福山藩領,元禄11年幕府領,嘉永6年から再び福山藩領。村高は,元和5年「知行帳」では井堰村と見え198石余,寛文11年地詰帳495石余,元禄12年備前検地や「天保郷帳」「旧高旧領」ともに570石余。元禄12年までに河下田村を合併。曹洞宗善福寺があり,明治維新後啓蒙所が開かれていたが,明治5年に井関簡易小学校が上井関と下井関との中間地点の森増に設立された。明治4年福山県,以後深津県・小田県・岡山県を経て,同9年広島県に所属。同10年の戸数151,同21年の戸数150・人口684。明治7年には井関郵便取扱所が設置され,のちの仙養・来見2か村を集配区域とした。当村は元来備北の諸村を福山方面へ結ぶ経路にあたり,有木村小坂家の経営する岩見鉄山の錬鉄も当村を通過して福山へ運ばれた。明治22年来見村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420681
最終更新日:2009-03-01




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