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広島県>庄原市

 明治22年〜昭和29年の山内東村の大字名。明治24年の戸数148・人口799。同年市村簡易小学校を市尋常小学校と改称。同33年山内東村内の4小学校を名目統合して上原尋常小学校とし,市小学校はその第4教場となる。同40年永寿寺の末寺で嘉暦元年山内通資の建立と伝える一鹿薬師堂の堂宇を改造。大正3年庄原に火力発電所ができ,当地でも電灯がつく。昭和13年矢野風呂池は15尺の嵩上げ改修工事を行い,旧田53町のほか開墾の20町余を潤すようになった(総工費1,200円)。同20年山内東国民学校に広島市立段原国民学校児童200名・教員8名が集団疎開し,うち約50名と教員2名が掛田の正中院を宿所とした。第2次大戦後の食糧増産気運のなかで,新田中山地区などで新田開発が進められ,用水確保のため同24〜28年上原の国兼池の堤防嵩上げ,本村川からの導水路工事が行われた。この用水利用については旧水利権者との間に課題が残った。同29年庄原市市町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420690
最終更新日:2009-03-01




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