ケータイ辞書JLogosロゴ 壱歩村(近世)


広島県>双三郡三和町

 江戸期〜明治15年の村名。世羅郡のうち。広島藩領。給知。村高は,元和5年「知行帳」では市分村と見え309石余。元文年間郡村高帳や「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。「芸藩通志」によれば,村の広さは東西27町・南北1里11町,「上野山村と入交る」とあり,当村内に上野山村分が15か所,当村分は掛平・半原・上壱歩・失原,上野山村内に恋ケ迫・南稲田・定光・オチクボがあった。戸数70・人数338,牛58・馬23,池は伴々池・突越池,神祠2,寺院1。綿津神社は照竜社・生霊社とも称し,文和年間の旱魃に村民を助けた森行谷の竜を祀ったという伝説がある。浄土真宗本願寺派実石山光永寺は大永5年智浄開基。ほかに同宗慧日山了安寺(享保5年開基)がある。舟迫城跡は上山加賀守実広の隠居の地という(三和町誌)。明治4年広島県に所属。同9年の戸数275・人口1,257。同15年上壱村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420705
最終更新日:2009-03-01




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