ケータイ辞書JLogosロゴ 稲草村(近世)


広島県>総領町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国甲奴【こうぬ】郡のうち。広島藩領。家老三原浅野氏給知。村高は,元和5年「知行帳」,「芸藩通志」「天保郷帳」ともに1,142石余,「旧高旧領」1,143石余。「芸藩通志」では,戸数287・人数1,298,畝数103町余。寛政4年の戸数639(小屋を含む)・人数1,088,馬7・牛183(三原御分指出帳)。「国郡志書出帳」によれば,村況は「水枯れ少なく,勿論水損も少なく村内の土地合いよろしく」「薪肥草生い立ち宜敷く」とあり,産物は穀類のほか綿・煙草,飛郷は敷尾。三原御分指出帳によれば,出雲路沿いで,「下市・上市両市とも商ひ仕候へども少々耕作仕らざる家は御座なく……此両市酒・小間物・油かせき・紺屋・豆腐・塩干鰯の類あきない仕候」とある。月3回の市が立ち,陰陽連絡の宿場町であり,出雲産の木綿が当村を経て福山から海路大坂へ,中国山地の砂鉄・米・銀などもこの道を通った。明治4年広島県に所属。明治初年の戸数291・人口1,527。同6年稲草小学(現総領小学校)が開校。同20年巡査駐在所を設置。同22年市制町村制施行による稲草村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420739
最終更新日:2009-03-01




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