ケータイ辞書JLogosロゴ 入江村(近世)


広島県>西城町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国奴可郡のうち。広島藩領。明知方。村高は,元和5年「知行帳」669石余,「芸藩通志」836石余,「天保郷帳」954石余,「旧高旧領」836石余。西城川西岸に市街地が発達し,寛文10年に西城町が分出。「芸藩通志」によれば,戸数41・人数193,広さは東西20町・南北11町,牛92・馬14,「居民農余,山業あり」と見える。飛郷に別所・田鋤・尺田がある。「芸藩通志」には「別所は寛永比の帖には,別村たり,下の二名同じ」とある。これらの飛郷は,当村北方の熊野川流域にある。神社には天満宮と熊野神社がある。天文2年宮高盛が入江村と栗村の境にある丸山(のちの大富山)に大富山城を築き居城とした際,天満宮は本丸南西の地に移され,さらに寛政10年中山の現在地に移ったという。尺田の熊野神社は,比婆山連峰南東端の竜王山の南麓に鎮座し,熊野本宮・熊野新宮・飛竜社の3社からなる。「芸藩通志」は天平元年の創建とするが,社伝では和銅6年までは比婆山大神社と称し,嘉祥元年に社名を熊野神社に改めたものとする。文亀2年宮親盛が社殿を造営し,その後も宮氏は当社にたびたび寄進をした。祭神は伊弉冉尊で,「古事記」に伊弉冉尊を「出雲国と伯伎国との堺の比婆の山に葬りき」とあることから,比婆山が埋葬地に比定され,さらに信仰の対象となり,当社は遥拝所として栄えた。しかし,明治20年頃に比婆山を神陵と称することが禁じられたため,登拝者は次第に減少した。寺院には日蓮宗荻野山妙善寺がある。天文16年宮氏家人荒木対馬盛正建立,僧日芸開山と伝え,盛正寄進と伝える法華経曼陀羅図8幅を蔵する。当村について「芸藩通志」は古くは栗村と一村であったかと推定しているが,「国郡志書出帳」では否定している。水利は溜池と谷川によっており,文政年間には土居田池,池の峠池など29の溜池があった(国郡志書出帳)。享保4年には藩営鈩が置かれたが,文政年間には鉄山業による稼ぎ口はなくなっていたという。尺田には鉄山が4〜5か所あり炭焼が行われ,切畑も30町余あったというが,享保年間頃からさびれたという(同前)。田鋤には藩営の鍛冶があり,駄送などが農間期の稼ぎ口となった。全政寺開山である京都誓願寺55世策伝和尚(安楽庵策伝)の「醒睡笑」には尺田の老婆にまつわる話も収められている。明治4年広島県に所属。同8年小学校として愛邑舎を開設,同15年西城小学校入江分校となり,同19年西城小学校に併合される。明治9年飛郷の別所・田鋤・尺田は熊野村となる。同21年の戸数62・人口378。同22年西城村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420789
最終更新日:2009-03-01




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