ケータイ辞書JLogosロゴ 宇賀村(近世)


広島県>甲奴町

 江戸期〜明治22年の村名。世羅郡のうち。広島藩領,幕末期には家老浅野孫左衛門の給知。村高は,元和5年「知行帳」では卯賀村と見え722石余,「芸藩通志」723石余,「天保郷帳」「旧高旧領」では743石余。「芸藩通志」によれば,村の広さは東西33町・南北1里19町余,戸数188・人数798,牛136・馬30,村内は山林が多く,農業を主とする。江口八幡宮は明応2年に平実家(宇賀山城主矢田新助元俊の祖)の勧請。曽根八幡宮は天文18年平元貞の建立。矢田新助の居城であった上野山城跡および矢田氏一族の墓地がある。寺院として禅宗正平山安養寺,真宗高丸山専光寺(僧知慶開基)がある。石見路が小童村から入り,鍋割峠まで村内33町,また梶田村からの官道が宇賀村で本路と合し,その距離26町余。天保8年の戸数163・役家5・寺2・社家2・百姓家148(世羅郡高租分限寄帳)。天保7〜8年の飢饉では米の収穫は平年の3分作,米価は高騰して米1石400〜450匁,餓死する者多く,疫病流行のため氏神社において祈祷を仰せつけられ,銀札129匁ずつを賜ったとある(信濃友嗣氏所蔵文書)。明治4年広島県に所属。同8年勉学社を開設,同10年宇賀学校となり,同17年の第1回卒業生は男子4(宇賀郷土誌)。同21年の戸数216・人口1,128。同22年広定村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420830
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ