ケータイ辞書JLogosロゴ 内海(中世)


広島県>安浦町

 鎌倉期から見える地名。安芸国賀茂郡東西条のうち。西福寺観音堂(現安浦町内海字寺迫)伝来の県重文木造観音菩薩立像の胎内から発見された沙弥円教施入摺仏の紙背に「黒瀬村内海方〈延慶元年〉□田検注支配事」とある。鎌倉後期には黒瀬村に属したことが知られる。室町期には東西条の一部となり,竹原小早川氏の勢力が及んだ。応永32年閏6月に「安芸国東西条内海村」が小早川弘景に預け置かれ,同34年11月には9代目弘景から嫡男盛景に譲与された。ついで,享徳3年10月5日付小早川盛景譲状に「内海村」と見え,盛景から嫡子11代目弘景に譲与されている(小早川家文書)。大永3年8月10日付安芸東西条所所知行注文(平賀家文書)によれば「東西条所々……一,内海 七十五貫 竹原知行」とある。なお康応元年3月10日,足利義満は瀬戸内海を西航して当地を通過,厳島神社に参詣した。その帰途,同月20日にも当地を通っている(鹿苑院殿厳島詣記)。当地の亀山八幡神社に保管されている棟札に「永正三丙寅歳八月吉日 奉再興内海八幡大菩薩社檀一宇・施主 当村 松田宗左衛門」とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420873
最終更新日:2009-03-01




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