ケータイ辞書JLogosロゴ 大君村(近世)


広島県>大柿町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国佐伯郡のうち。広島藩領。能美島東が分村して成立。村高は,正徳2年所務役人頭庄屋郡邑受方記や「芸藩通志」ともに222石余,「旧高旧領」228石余。戸数・人数は,寛永15年本家28軒,元禄15年21軒,享保3年本家30軒・小家20軒・長屋20軒,同17年48軒,宝暦9年441人,享和元年145軒・710人,文政2年150軒・935人,嘉永5年270余軒(大柿町史)。神社は荒神社,祭神オキツ彦命・オキツ姫命,祭日旧暦3月18日・旧暦9月18日,胡子神社,祭神八重事代主命,祭日旧暦10月20日。慶長5年僧道了の開基と伝える道場がある。また延宝3年僧賢竜開基の真宗道場は田中善七(浄円)の死後その家・屋敷の寄進を受けて浄円寺となったと伝える。享保5年南条山薬師坊を開基として,その改宗再興という名目で独立の真宗寺院となった。新開地は,汐迫・浜戸湖・大窪・平山・紙漉田・ひらさこ・平さこ沖新開・塩熱浜など。明和年間ひしか池完成,寛政2年与頭貞平が自力で塩浜をつくり土手長さ30間を築く。ただし塩付きが悪く大いに難渋。文政3年山の神池見分掘りを始める。文政6年志かたの浜に十助新開を築き2反位を開拓,仮尾泊藤蔵が新開地の汐留をする。弘化元年南川河口に波戸を築き港とする。嘉永6年南川河口の砂を掘り,以後大小の船が常に出入した。王泊新開を築く。産業は舟運・漁業など(芸藩通志)。享保17年の飢饉で「翌年の春,村中皆餓死仕」り,村の所有である仏像まで質に入れ年貢を払ったという。また享和元年には大君浦の710人のうち45人が死亡,481人が病気,184人が息災という悲劇的情況であった。社倉は浜床に設けられた。元禄年間の頃田中善作が寺子屋を始め,幕末に田中礼文が必明舎を興した。明治4年広島県に所属。同5年浄円寺に発蒙舎を創立,同7年大君小学校を創立。同20年の戸数276・人口1,626。同22年大柿村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420972
最終更新日:2009-03-01




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