ケータイ辞書JLogosロゴ 大串村(近世)


広島県>大崎町

 江戸期〜明治22年の村名。豊田郡のうち。広島藩領。寛永15年地詰で原田村から分村。村高は,元和5年「知行帳」では大崎島2,656石余のうち,「芸藩通志」「旧高旧領」ともに180石余。寛永15年地詰では畝数10町余(分米150石余)。「芸藩通志」によれば,畝数15町余(分米180石余),戸数90・人数433。文化6年隣村の中野に大新開ができたこともあり,村民の強い要望や村役人の熱意がみのり天保元年やっと入相新開の認可を得,翌2年から工事にかかり,同6年潮留をしたが,その後運悪く2回決壊し,同7年3度目の潮留に成功し完了。新開畝数は39町8反となっているが,悪水溜りの池が17町5反余もあり,耕地は約22町3反である。天保10年にここから穴毛鼻にかけての堤下を塩田に改めたいとの願いを出し,願主六蔵は畝数1町3反余を買取り塩業を始めている。新開勤番所のあったといわれる山の手に入相新開の守護神を祀る大原神社があるが,この社名は大串・原田両村の入会地で両村民が主になって造った新開にちなむ。天保13年入相新開の百姓85人が寸志米10俵の上納を願い出た。明治4年広島県に所属。同7年行者堂を借り早修舎を開設,同11年大串学校に改称,同19年原田尋常小学校に合併。同21年の戸数135・人口736。同22年西野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420981
最終更新日:2009-03-01




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