ケータイ辞書JLogosロゴ 大佐(近代)


広島県>西城町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ西城村,明治31年からは西城町の大字。明治24年の戸数211・人口1,232。西城と東城を結ぶ県道は明治16年頃完成していたが,同34年五日市から妙見山,権現峠を越える現在の路線が開通。住民の多くは浄土真宗の信徒であったため,隣接する八鳥に小祠が多いのとは対照をなし「八鳥の宮参り,大佐の寺参り」といわれた。明治42年大仙社を中心に大仙組2組の神楽が催された。滝戸奥では古くから石綿を産し,明治42年の生産額1日1貫匁(比婆郡誌)。昭和30年再度カイメン工場が操業,同40年頃閉山。西城川対岸の市街地と大佐を結ぶ明治8年架橋の板橋開明橋は大正12年の大洪水で流失,のちコンクリート橋として復旧。昭和9年国鉄三神線備後庄原〜備後西城間が開通,字三野原に備後西城駅を開設。同18年松ケ平に県立西城保健所を設置。同20年広島高等師範学校付属国民学校児童270名が西城国民学校に集団疎開し,西願寺にも分宿した。同31年西城町役場を三野原に新築移転。同41年県立西城保健所を三野原に移転。同53年同保健所を閉鎖し,庄原市本町に移す。同54年西城町役場庁舎を保健所跡へ増改築移転。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420991
最終更新日:2009-03-01




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