ケータイ辞書JLogosロゴ 大多田村(近世)


広島県>黒瀬町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国賀茂郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」260石余,「芸藩通志」261石余,「天保郷帳」260石余,「旧高旧領」261石余。「芸藩通志」によれば,畝数42町余,戸数128・人数664,牛60。庄屋は文政年間から明治初年にかけて胡屋(田坂氏)が勤める。氏神は字神田にある八幡神社,永享3年12月勧請と伝え,同年藤原清秀(新居氏か)の奉納した神鏡がある。小祠は字高下に稲生神社。字山根の阿弥陀堂は薬師堂を改めて説教所として使用。字市ケ原の阿弥陀堂はもと毘沙門堂であった。禅福寺・安浄寺など寺跡の地名・家号などがある(賀茂郡志)。産物として木綿があり,「黒瀬郷大多田村木綿宜,晒木綿等も仕,広島・尾道等へ売出し,藍付等も宜敷由ニ而,大多田木綿と唱評判宜相聞へ申候」と見える(国郡志賀茂郡辻)。ほかに「草壮丹」が堤岩山にある(芸藩通志)。明治4年広島県に所属。小学校は同7年乃美尾村とともに精々舎を創立,同11年には分離して黒川静宅へ慣成舎を置く。同12年大多田小学校と改称,薬師堂を校舎とする。同18年丸山村との境横山へ移し,横山小学教場,同20年横山簡易小学校となり,のちに楢原の中黒瀬小学校となった。同22年中黒瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421025
最終更新日:2009-03-01




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