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- 大浜(中世)とは
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大浜(中世) 室町期から見える地名秩父【ちちぶ】郡のうち応永25年3月28日の鎌倉公方足利持氏御教書(安保文書/武文)に,「秩父大浜」と見え,児玉郡太田村・秩父郡大路沢村・同郡岩田郷・白鳥郷・井戸郷内の田畠在家などに対する岩田左近蔵人・白鳥六郎・大浜崇持寺住持などの乱暴狼藉を停止して,安保宗繁・満春に下地を沙汰し付すべきことを命じている戦国期には鉢形【はちがた】北条氏邦支配下の在地土豪として大浜氏が散見される天正14年3月13日の北条氏邦印判状によると,秩父衆は,鉢形城の秩父曲輪の174間の修理補強を命ぜられているが,大浜新八郎と大浜伊予守は,その中の4間を分担させられている(武文)秩父孫二郎・同心衆(秩父衆)139人の軍役を定めた天正16年2月25日の北条氏邦印判状(彦久保文書)には,大浜伊予守・大浜新八郎の名が見え,大浜氏は5人の軍役を命ぜられている同18年2月12日の北条氏邦知行宛行状では,大浜弥八郎に贄川【にえかわ】(現秩父郡荒川村)内に22貫文の知行地が宛行われ,同年3月16日の大浜弥八郎宛ての氏邦印判状では,同地の逃亡百姓の召返しが命じられている(武文)大浜氏は秩父衆の一員であったことがわかる現在の皆野町大字皆野字大浜のあたり |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大浜(中世) 戦国期にみえる地名石見国美濃【みの】郡浜辺郷のうち現在の益田【ますだ】市東部沿岸にある大浜の地永正4年正月19日付「小原兼正打渡状」(広島大学所蔵文書/広島県史古代中世資料編Ⅳ)に「一所 大浜両名并役職」とみえるのが初見天正11年2月17日付の「小原兼栄当知行注文」(同前)にも「一,大浜浦里山野 浜辺郷之内」とある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」