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- 岡町(近世)とは
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岡町(近世) 江戸期~明治11年の町名諫早【いさはや】市中の1町市中の北部にあり,他の諸町とは本明川で隔たっている町内は岡町別当が置かれて管理した集落は長崎街道浜通り(多良越え往還)の通り筋を中心に形成され,街角に一里松があった本明川沿岸には諫早領主蔵屋敷が置かれ,川から荷揚げ用の石段が付いていた町入口の岡口は,佐賀藩主が諫早入りの際,諫早領主やその家臣に対する勘忍場ともなった享保3年には大火で町内が全焼し,対岸の下町・横町などにも延焼した享保17年大火のときは,2~3か月後領主諫早茂晴が藩主からとがめを受け,領内も逼塞を課されたため年末まで建築が禁じられ,町内は困窮した同年は虫害による飢饉の年でもあった明治2~3年頃市中は3町1津に分割され,そのうちの1町となる明治4年佐賀県,伊万里県を経て,同5年長崎県に所属同7年五反屋敷を下本明村より編入同8年の人口335(小学校取調書)明治11年諫早町の一部となり,同町4丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」