ケータイ辞書JLogosロゴ 沖浦(近代)


広島県>木江町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ大崎南村,昭和30年からは木江町の大字。明治24年の戸数277・人口905。明治期南の瀬戸にある小大下島という石灰岩性の小島から石を購入して石灰を焼いていた。これは肥料・しっくい・白壁の原料・消毒用に使用され,明治中期の盛んな時は石垣を組んだカマが6〜7か所あった。その後岩白など大きい山が企業化したが,第1次大戦の造船ブームの中で廃退した。島の造船所が盛況となるのは,明治中期以降北九州からの石炭船が多くなってからで,当地はこの頃造船に必要な船釘と槙肌工業が盛んとなった。槙肌縄の盛衰は明治,大正,昭和と木船の建造とともにあった。昭和16年船釘が機械工業に転じ,同19年には安芸船釘として工場組織となり工員は53名であった。しかし第2次大戦後不況にあえぎ,さらに同30年頃から木船が次第に少なくなり,斜陽化した。昭和26年沖浦港が第2種漁港に指定され,大崎南漁協を設立した。同30年の国鉄宇高連絡船紫雲丸の沈没で,修学旅行の先生と生徒25名の犠牲者を出し,同31年木江南小学校校庭に記念館を特設し霊を慰めた。同42年南小学校ができ,同50年木江中学校を狩浜に新築,南中学校を統合した。昭和49年には野賀砲台跡に国民宿舎が完成し,現在は観光地となっている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421132
最終更新日:2009-03-01




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