ケータイ辞書JLogosロゴ 奥海田村(近世)


広島県>海田町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国安芸郡のうち。広島藩領。明知・給知入り交じりの地。村高は,元和5年「知行帳」1,665石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。享保9年村指出帳では戸数409・人数2,200,文化11年の「国郡志書出帳」によれば,戸数651・人数3,292,牛192・馬11,広さは東西38町・南北39町20間,村況は「少しの日照りニも兎角渇水ニ相成,尚雨池之義も何レ迚も小池之義ニ御座候得者田丁ヘ行届かたく」と,稲作中心の村であったが水不足気味で,また「山所肥草之義,田地数ニ応し候而ハ山所狭ク,其上土地悪敷御座候ニ而肥草至而乏敷村柄ニ御座候」と肥草の欠乏を記す。特に寛政8年の洪水では大打撃を受け,「土地合悪敷相成リ申候類間々在之候」という。農間余業には「莚・薦・縄・たばこ切・小商ひ・綿賃繰・木綿織延」などがあるが,浮過層は少なかった。寺院には浄土真宗の道場長谷寺があり,その他小堂10。神社には出崎森八幡宮・春日神社があり,その他小社35。廃寺跡として蓮華寺末であったという番障寺がある。日ノ浦山頂は千畳敷と呼ばれ景観の地であった。かつて中野鳥籠城城主阿曽沼隆郷がここで殺されたといい,「其怨霊与申,年々ニハ凡五六度程つゝ夜々光物」が飛行するという伝説がある。また小堂貞福寺に霊泉が涌き湯治者も多かったという。明治4年広島県に所属。同21年の戸数728・人口3,614。同22年市制町村制施行による奥海田村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421140
最終更新日:2009-03-01




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