ケータイ辞書JLogosロゴ 奥中原村(近世)


広島県>芸北町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国山県郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」,正徳2年の所務役人頭庄屋郡邑受方記では114石余,享保14年の地詰帳,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに154石余。享保12年の山県郡村々諸色覚書によると,戸数は本百姓44・小家4・浮過3,人数206。「芸藩通志」によれば畝数21町余,戸数69・人数379,牛43・馬78。村内に鉄山業があり,宮地村四郎兵衛,加計村与兵衛の長割鍛冶屋2軒が稼行していた。村人も農間に「小鉄駄賃之儲少々あり」と記す(山県郡村々諸色覚書)。氏神は,本郷上ノ社,杉ノ本社,森原社,宮ノ谷社,隠岩社の5社,寺院は浄土真宗専光寺があった。寛文5年苅屋形村に移転。明治4年広島県に所属。同22年中野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421148
最終更新日:2009-03-01




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