ケータイ辞書JLogosロゴ 押込村(近世)


広島県>呉市

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国安芸郡のうち。広島藩領。村高は,「芸藩通志」225石余,「旧高旧領」325石余。「芸藩通志」では畝数23町余。「国郡志書出帳」によれば,戸数66(うち百姓51)・人数346,産物は米・麦・大麦・松茸・茶・蕨・薇・梨・栗・梅など,農間余業は男は大縄・筵づくりと薪の伐出しなど,女は木綿織り,広島・仁保島・矢野・吉浦・呉町・阿賀村などに販売。総鎮守は向日原八幡宮,男山八幡宮を勧請したと伝えられ,祭礼は9月20日,もとは二河川近くの旧宮と呼ばれる地にあったが,たびたび水害を受け,寛文3年に現在地に神殿が造営された。棟札には永正11年11月24日大願主貞吉(野間家老渡辺氏)によって再建されたとある。奥(または西)孫六は当村庄屋で,安芸郡矢野村八幡宮宮司の香川将監の教えをうけたほか矢野村庄屋五左衛門の協力を受けて社倉法を当村で実施し,藩から恩賞として毎年米3石ずつを受け,割庄屋格にされた(呉市史)。苗代村との間で元禄・寛永年間に山論発生。明治4年広島県に所属。同12年の戸数81・人口372。同22年本庄村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421181
最終更新日:2009-03-01




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