ケータイ辞書JLogosロゴ 小田郷(中世)


広島県>河内町

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。安芸国豊田郡沼田【ぬた】新荘のうち。仁治4年2月日の安芸沼田新荘方正検注目録写に「小田三十五丁九反大」とあり,内訳は,除田3町小,佃と官物田をあわせて定田32町9反小,所当米は公物と地頭分をあわせて69石1斗3升2合であった。小早川家系図によれば,沼田新荘惣領家小早川季平の子信平の家系が小田を苗字としてこの地に拠る(小早川家文書)。正平20年4月5日の足利直冬御教書によると,信平の孫範平が所持していた小田郷地頭職を熊谷直経に内部荘本知行分の替地として宛行っているが(熊谷家文書),嘉吉元年3月16日の幕府奉行人連署奉書案や宝徳3年9月吉日の小早川本荘新荘一家中連判契約状に小田氏の名が見える。小早川氏一族知行分注文には小田375貫文とある(小早川家文書)。文明16年12月13日の聞善房隆山檀那職売券および明応8年5月30日の聞善房檀那職売券では,小田の太平寺配下の信者に関する権益を売買しており(米良文書),天正9年村山檀那帳の小田の項には小早河又三郎・小早川藤松のほか恵明寺・真光寺・広法寺・正法寺・門丹後守・竹下市允らの名が見える。真光寺は今廃寺となるが,「芸藩通志」に,永正13年小田真光が建立し,元亀年間小田景範が殿堂を建て大般若経を寄付したとある。寺跡に永禄13年の景範の逆修供養碑を残す。また小田八幡神社には「億五劫古,当八幡岑,風吹神木,弾無弦琴」の語を有し,文明11年銘の供養碑がある。また,竜王山南側中腹の小田城は,階段式の山城で土塁・石垣・井戸などが残る。「芸藩通志」には小田甚兵衛の居城とし,甚兵衛の墓は河内町下河内の大和原谷にあるとする。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421190
最終更新日:2009-03-01




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