ケータイ辞書JLogosロゴ 小山(中世)


広島県>吉田町

 鎌倉期から見える地名。安芸国高田郡吉田荘のうち。嘉禎4年4月17日の伊都岐島社廻廊員数注進状案に「小山」と見える(新出厳島文書)。応永4年6月に厳島社神主親胤が幕府に所領安堵を請い,管領斯波義将の証判を得ている所領のうちに「小山」と見える(巻子本厳島文書)。永享3年10月17日の守護山名氏奉行人書状案によれば,安芸守護山名氏奉行人が毛利光房の厳島社領「小山」の押領を停止している(厳島野坂文書)。宝徳2年4月,厳島神主教親が幕府に対し押領された所々の回復を訴えているが,その中に「小山」の名が見える。また,天文19年8月15日の毛利元就・隆元連署寄進状では,毛利元就が一族の息災と武運長久などを祈り,高田郡の小山と西浦の地を厳島神社に寄進している(巻子本厳島文書)。永禄6年8月11日棚守房顕が息男元行に厳島社の社役や祭田・寄進田などを譲っているが,このなかに「小山」と見える。元亀3年2月26日の毛利輝元安堵状では吉田荘小山・西浦の地が棚守元行の取次をもって「御社頭之儀相調」ためにあてられている。また天正19年12月26日毛利氏は,高田郡小山・西浦,佐東郡緑井の3か所につき,社家の一職支配を認めている。文禄元年5月15日の毛利氏奉行人書状には「小山人沙汰之儀」につき福原氏との間に相違のあったことが見える(厳島野坂文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421243
最終更新日:2009-03-01




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