ケータイ辞書JLogosロゴ 加計町(近代)


広島県>加計町

 明治31年〜現在の山県郡の自治体名。村制時の2大字を継承。役場は当初民家を改造して開設したが,大正5年に庁舎が落成した。大正期に入り,6人乗り自動車が加計〜広島間で運行開始。川舟運輸は明治27年には122艘を数えたが,陸上交通機関の発達により昭和初期に終わりを告げた。大正11年郡立八重実業学校加計分校(現県立加計高校)設立。太田川の水源および滝山川の水源を利用し,水力発電の開発が進み昭和5年加計発電所が落成。同13年に帝国製鉄加計工場が操業を開始し,同33年の廃業まで20年間続いた。江戸期から太田苧と呼ばれた大麻の栽培は,昭和初期まで全畑地の約半分に及んだ。明治末期〜大正初期に養蚕が盛んになり,昭和3年に年間9,398貫と最高を極め,養蚕戸数378を数えた。同29年国鉄可部線が加計まで開通,同線加計駅が開設された。同年殿賀村を合併し2大字を加え世帯数1,346・人口5,943。同31年安野村を合併し2大字を加え6大字となる。同38年1〜2月にかけて未曽有の豪雪となり,最深積雪1m20cm以上に及んだ。この豪雪を機に急激に過疎化が進行。同47年集中豪雨に襲われ死者5人・住宅全壊流失35戸・半壊流失38戸・床上床下浸水351戸・山腹崩壊73か所・道路決壊143か所などの被害を受けた。同50年の世帯数2,024・人口6,808。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421281
最終更新日:2009-03-01




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