ケータイ辞書JLogosロゴ 風早村(近世)


広島県>安芸津町

 江戸期〜明治22年の村名。賀茂郡のうち。広島藩領。福島正則時代の村が風早村・大田村・小松原村に分村して成立(芸藩通志)。村高は,元和5年「知行帳」では「かさはや村」と見え773石余,「芸藩通志」679石余,「天保郷帳」774石余,「旧高旧領」679石余。文政8年の戸数686・人数3,489(芸藩通志)。文政末年頃,陣凱・水除浜に塩田が築造され,天保10年宮尾彦五郎により観音浜に新開(塩田)が拓かれた。その総町数は15町9反3畝5歩(列伝体芸備史)。鎮守は祝詞山八幡宮(字九日面)で貞和2年2月29日高藤為重の勧請により創立,明応7年10月竹原小早川弘平が再造,竹原小早川氏により累代敬拝される。寺院は大治2年3月創立の豊照山元行寺,もと天台宗であったが明応4年に真宗に改宗したという。長徳4年創建と伝える臨済宗妙心寺派瑠璃山浄福寺は,もと薬師丸にあったが慶長5年現在地に遷されたという。明治4年広島県に所属。同21年の戸数322・人口1,757。同22年早田原村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421288
最終更新日:2009-03-01




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