ケータイ辞書JLogosロゴ 梶田村(近世)


広島県>甲奴町

 江戸期〜明治22年の村名。甲奴郡のうち。広島藩領。家老三原浅野氏給知。村高は,元和5年「知行帳」,「芸藩通志」ともに592石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに640石余。「芸藩通志」によれば,村の広さは東西20町・南北1里9町,戸数122・人数504,牛30・馬5,田65町余。氏神八幡宮には天文元年藤原豊広再建の棟札がある。ほかに厳島明神・粟島神社がある。寺院は宝雲山養光院。「国郡志書出帳」によれば,石見銀山道が西野村から入り,世羅郡宇賀村に出る。その距離16町,高橋で川を横断するが,橋の長さ9間とある。また村の中央六部供養塚から本郷村境古川まで16町28間,安田村境大かけまで19町8間,福田村戸下まで23町50間,世羅郡宇賀村境やけ見堂まで10町4間。明治4年広島県に所属。同21年の戸数134・人口659。同22年市制町村制施行による梶田村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421292
最終更新日:2009-03-01




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