ケータイ辞書JLogosロゴ 加谷村(近世)


広島県>東城町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国奴可郡のうち。広島藩領。明知。村高は,元和5年「知行帳」では「かたに村」と見え134石余,「芸藩通志」179石余,「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。「芸藩通志」によれば,戸数32・人数141,村の広さは東西18町・南北1里5町,牛38・馬20,水利は大谷川や溜池。文政年間には井手6・池3(国郡志書出帳)。神社には金倉神社がある。当村ではしばしば干損を生じ,肥草も不自由な地であったが,鉄山業関連の諸労働が稼ぎ口となった。鉄穴数は安永9年20,弘化3年15,嘉永年間20(奴可郡村鉄穴帳)。高梁川流域の農民が東城川上流域の鉄穴流し中止を要求した訴訟は天保11年から6年間に及んだ。明治4年広島県に所属。鉄穴数は同5年4,同16年15(旧県史)。同21年の戸数38・人口255。同22年小奴可村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421315
最終更新日:2009-03-01




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