ケータイ辞書JLogosロゴ 上千鳥村(近世)


広島県>東城町

江戸期〜明治15年の村名備後国奴可郡のうち高梁川水系粟田川上流の千鳥川源流域砂鉄採取のため山を掘り崩し開拓された地とみられている北は備中国(岡山県)と接する広島藩領明知村高は,元和5年「知行帳」178石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」も同高「芸藩通志」によれば,戸数39・人数125,村の広さは東西15町・南北35町,牛47・馬57神社には子守神社・八幡宮水利は川によっており,文政年間には井手8(国郡志書出帳)別尺山麓・古社山麓は文政3年5月の洪水で本谷へ崩れ落ち,その後も雨のたびに濁り水田に被害を与えた寒冷地で麦作には適さず,元和6年奴可郡内採鉄村として報告された8村の内に含まれている鉄穴数は,安永9年・弘化3年・嘉永年間ともに9(奴可郡村鉄穴帳),安政4年には鉄山師丈吉の経営する殿草利鈩があり,別尺の柳渡り鈩は明治末期まで操業した古社山の山すそには多数の鉄穴残丘が分布鉄穴流し,炭焼,砂鉄・銑の駄送などの諸労働が稼ぎ口となった産物として「芸藩通志」には砥石がある明治4年広島県に所属同5年には鉄穴数11(旧県史)同8年民家を借り小学校を開設同15年千鳥村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421436
最終更新日:2009-03-01




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