ケータイ辞書JLogosロゴ 木来(中世)


広島県>尾道市

室町期から見える地名備後国御調【みつぎ】郡のうち文明17年閏3月29日付旦那引注文(熊野那智大社文書)に「木来・栗原・吉波悉皆」とあり,当地の人は尾道権現堂大進を先達として熊野・那智に参詣することとなっていた下って,戦国期には9月20日付渋川義陸書状(閥閲録41)に「木来表要害普請之儀大略調候」と見えるこの頃,当地は御調郡八幡荘に本拠を置く渋川氏の支配下にあり,新たに城が造られたしかし木梨氏からたびたび攻撃を受けたため,大永6年頃,義陸は毛利元就に城番衆の合力を求め,渡辺信らが当地に入ることとなった「芸藩通志」によれば,江戸期には御調郡本郷村・中野村・木門田村・深村の4か村を合わせた地域を「木来庄」と呼んだという現在の尾道市美ノ郷町中野・美ノ郷町本郷・木ノ庄町木門田および三原市深町などに比定されよう
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421602
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ