ケータイ辞書JLogosロゴ 吉舎町(近代)


広島県>吉舎町

 大正9年〜現在の双三郡の自治体名。村制時の7大字を継承。昭和初年の農業恐慌下,町内各地で区民大会が開かれ,役場吏員の半減,塩・煙草の値下,小学校教員の月俸2〜4割の寄付などを連署して町当局へ要求した(県史近代現代資料編)。また失業者対策として「救済道路」と呼ばれる道路建設が行われた。昭和8年国鉄福塩北線(現福塩線)が塩町〜吉舎間に開通,同10年吉舎〜上下間も開通し,町内に吉舎・備後安田の2駅が設けられた。同年甲立町にあった原種圃が当町へ移ったのを機に,県立農事試験場吉舎支場が設立され,米・麦・蔬菜・果樹などの総合試験研究機関としての役割を果たした。昭和10年の職業別戸数は,農業689・商業157・工業103・公務自由業88・その他55で,特産物にマツタケ(同年の採取面積300町・産高3,520貫)があった(吉舎町勢一班)。人口は昭和10年9,091,同30年9,896で,昭和23年の1万1,060人をピークに減少傾向にある。同35年の産業別戸数は,第1次産業1,433・第2次産業43・第3次産業540。昭和30年上川西小学校を安田東学校と改称,翌31年同校は安田小学校と合併。昭和28年八幡村を合併し,6大字を加える。同30年3月甲奴郡上川村の一部を合併し,11月知和の一部を三良坂町棗原【なつめばら】へ編入,同32年世羅郡世羅町の一部を合併し,3大字を加え,16大字となり,同年世羅町戸張の一部を,同36年には甲奴町宇賀の一部を雲通に編入。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421606
最終更新日:2009-03-01




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