ケータイ辞書JLogosロゴ 木梨村(近世)


広島県>尾道市

 江戸期〜明治22年の村名。御調郡のうち。広島藩領。明知・給知が入り交じる地。村高は,元和5年「知行帳」では「きなし村」と見え木梨山方を含めて826石余,のち木梨山方村が分村,正徳2年所務役人頭庄屋郡邑受方記や「芸藩通志」「旧高旧領」ともに660石余。「天保郷帳」では木梨山方村を含めて905石余とある。「芸藩通志」によれば,戸数150・人数726,村の広さは東西16町余・南北1里3町,牛85・馬13,農間余業で藺蓆(畳表)を織る。御調郡藺作十四か村の1村。池に助右衛門谷池・後谷池など4,神社に鷲尾山城主杉原信平が文明年間に栗原八幡宮分霊を勧請し,杉原元経が再興した木梨八幡宮,寺院に浄土真宗亀谷山光林寺,廃寺跡に薬師堂を残す地福寺,阿弥陀堂を残し,もと浄正寺といい,杉原氏の菩提寺であった浄正庵,古城跡に杉原氏の鷲尾山城跡・家城跡,金剛丸の持倉氏館(杉原氏家臣持倉氏の館)跡がある。明治4年広島県に所属。同6年教習舎を創立,同20年市原小学校と合併して梨原尋常小学校と改称。明治7年木梨山方村を合併,同15年木梨山方村を再び分村。同21年の戸数192・人口1,191。同22年木ノ庄村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421638
最終更新日:2009-03-01




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