ケータイ辞書JLogosロゴ 清綱村(近世)


広島県>吉舎町

 江戸期〜明治22年の村名。備後国三谿郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」473石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに474石余。宝暦11年の戸数68・人数266(御巡見様御通筋覚書)。「国郡志書出帳」によれば,戸数65(うち百姓57・社家2・寺1・修験1・医師1・職人1・浮過2)・人数292,4人の給知,石見路(赤名越)が村の中心を南北に延び,往還筋で「草鞋等ノ売物仕候」。農業を主業とし,村の広さは東西12町・南北15町,牛53・馬7,楮の生産も盛んで,毎年仕入銀150匁を藩から借用して11月に93貫目の正楮を上納するとしている。神社に当村のほか近村7か村の惣氏神となっていた八幡宮があり,同社は嘉応2年創建で天文15年南天山城主和智誠春が再建したもので,その棟札を蔵すとある。寺院に真言宗三宝院派修応山常和寺などがあった。中央を南北に馬洗川が貫流する当村は,しばしば洪水に悩まされた。延宝2年には2度にわたって馬洗川堤防が決壊し,三谿郡全村と世羅郡の一部へ割当てた郡夫3,000人を動員して修復した記録も残る(安井家覚書)。明治4年広島県に所属。同8年地租改正・実地丈量に際し,清綱村が第12,13大区の比準地となり,多数の村々の地等組立議員が来村し民泊して講習会が開かれ,「日々大人数ナルヲ以テ浄土寺ノ鐘ニテ朝暮ノ着退ヲ告グ」という状況であった(真野家覚書)。同13年隣村吉舎【きさ】村との連合小学校を当村に置いた。同21年の戸数71・人口348。同22年八幡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421672
最終更新日:2009-03-01




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