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「金屋町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

金屋町(近世~近代)


江戸期~現在の町名江戸期は安芸国安芸郡段原村のうちに形成された町もとの茅屋町享保18年には当町から出火し,付近の町家990竈を焼失また明和3年にも出火,町家19...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7421678]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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金屋町(近世~近代)

江戸期~昭和41年の町名金沢城下町のうち,地子町の1つ明治22年からは金沢市の町名金谷町とも書く城下北東部「博伽雑談」によると,佐久間盛政時代の「尾山八町」の中にすでにその名が見えており,もとは金沢城金谷門の内にあったようである町名の由来は元和6年銀座役となった金屋彦四郎の屋敷のほか,富裕な商家が並び,加越能三州通用の金銀貨幣を鋳造したことによるといわれる(古蹟志)のちに金沢城の金谷出丸となったため,町家は現在地に移転した移転時期については,寛永12年説(亀の尾の記)もあるが「古蹟志」「郷土辞彙」は否定していて定かでない「金沢通町筋町割書」に2町51間2尺森下【もりもと】町,56間1尺「森下金屋町」とあることから,森下町の地内に移転したと思われる文化8年には町内に大工・桶屋・塗師・建具師が各1軒,仕立物職・苧桛が各2軒,四十物【あいもの】商・豆腐商・塩小売商・請酒・秕屋・麦屋・綿並び打綿商・金物鍋釜商・古金買・菅笠商・煎餅商が各1軒,道具商・荒物商が各2軒,古手買が4軒,米仲買・医師・稼ぎ人・職業不明が各1軒,計31軒があった(田中喜男:城下町金沢)大正5年の戸数81・人口283(男133・女150)「皇国地誌」には「森下町界ヨリ東北大衆免竪町入口ニ至リ高道町ニ続ク壱町弐拾六間許,幅凡弐間五尺」と記す昭和41年,東山2丁目・森山1丁目となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

金屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名西洞院通六条上ルの町寛永14年洛中絵図にすでに見える北隣の小柳町とともに慶長7年から公許の遊里で,寛永17年に傾城町は島原に移されたが,そのため江戸中期までは「下大夫町」とも呼ばれた(京雀・宝暦町鑑)江戸後期における当町居住の代表的な諸職商家は鍛冶で(京羽二重大全),金屋町の由来がうかがえる江戸期は川西九町組の毘沙門組,明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】13番組,同5年第17区と改称,同25年第17学区に編成明治12年下京区金屋町,同22年京都市下京区金屋町となり現在に至る同36年西洞院通の中央を流れる西洞院川を暗渠とし(坊目誌),同38年京都電気鉄道が開通京都駅~北野間を結ぶ幹線として大正7年市電に合併市電北野線としてながく市民に親しまれたが,昭和36年廃止人口増減率(昭和40~50年)59%減...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

金屋町(近世~近代)
江戸期~昭和53年の町名江戸期は大坂三郷天満組のうち明治5年からは1~2丁目があるもと天満東4丁目・同西4丁目のうち,この両町北の筋が金屋町になったという(初発言上候帳面写/大阪市史5)天満橋北詰西へ3・4筋目を町域とする浜から1丁(天満4丁目)北の町(宝暦町鑑)元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば,家数59軒,役数59,うち無役数3(惣年寄・町年寄・会所),年寄は伊丹屋法雪当町には天満組(のち南組)惣年寄金屋の屋敷が古くからあり,町名の由来ともなった明治2年大阪北大組,同12年北区,同22年からは大阪市北区の町名明治5年一部が朝日町となり,天満1~11丁目・典薬町・板橋町の各一部を編入し,1~2丁目を編成昭和53年天満1~4丁目・東天満1~2丁目・松ケ枝町となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

金屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は姫路城下の1町町人地明治初年~明治22年は姫路を冠称姫路城の東町名の由来は,江戸期の当地に鋳物師集団が居住し,それに縁する名による(市制三十年姫路市史)もとは井の町の一部(上井の町)で,宝暦11年姫路之図(琴丘高校蔵),江戸後期の姫路侍屋敷図(姫路市立図書館蔵)には当町の名が記される鋳物師統領芥田家の支配を受け,地子銀を同家に納めたという(市制三十年姫路市史)元文5年の家数22,地子銀130匁(穂積家文書)明治14年の戸数34・人口115,宅地1,524坪(播磨国地種便覧)同22年姫路市に所属大正元年の戸数31(姫路紀要)世帯数・人口は,昭和2年49・206,同35年40・186...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

金屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名本町通(伏見街道筋)五条上ルの町江戸期は建仁寺領正徳2年の開発によってできた建仁寺新門前六町の1つはじめ北に接する森下町とともに1町をなし,垣町【かきまち】と称したが,文政13年分離したという(坊目誌)正徳4年洛外町続家数改帳による家数2(荻野家文書)明治元年下京【しもぎよう】に編入,同2年の町組改正から下京26番組,同5年第20区と改称,同25年第20学区に編成明治12年下京区金屋町,同22年京都市下京区金屋町,昭和4年東山区金屋町となり現在に至る...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

金屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名蛸薬師通堀川西入の町寛永14年洛中絵図にすでに当町の町名が見えているが,はじめは湯屋町とも称したという(坊目誌)江戸期は川西九町組の三条大宮組に属し,34軒の軒役を負担明治2年の町組改正から下京【しもぎよう】1番組,同5年第1区と改称,同25年第1学区に編成明治12年下京区金屋町,同22年京都市下京区金屋町,昭和4年中京【なかぎよう】区金屋町となり現在に至る...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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