ケータイ辞書JLogosロゴ 口谷尻村(近世)


広島県>大野町

江戸期〜明治15年の村名安芸国佐伯郡(もと佐西郡)のうち南は厳島を望む大野瀬戸沿岸に位置する大野村のうちに散在して一村としてのまとまりにかけたため,大野村と合わせ大野口谷尻村と称されることが多かったもとは谷尻村のうちで,元和6年に谷尻村が奥谷尻と口谷尻の2か村に分村して成立地名の由来は,谷尻のうち北の山間部を奥,南の沿岸部を口と称したことによる(芸藩通志)広島藩領家老上田氏給知村高は,元和6年上田家知行目録171石余,文化3年佐伯郡廿ケ村郷邑記で同高,「芸藩通志」は大野口谷尻村1,102石余のうち,「天保郷帳」では谷尻村228石余のうち,「旧高旧領」187石余戸数・人数は,宝永7年御巡見村々様子書上61(本家19・小家42)・230,文化3年佐伯郡廿ケ村郷邑記37・267文化3年の耕地13町9反余,享和元年住吉新開1町4反余を築き,牛12・馬3,請山銀73匁と溝代米4斗3升を大野村へ出し,氏神は大頭神社,薬師堂は廃寺永慶寺の跡と伝えるまた庄屋は代々大野村と兼帯,「当時ハ大野村之内所々ニ飛地有,本郷ハ大頭社より下之浜迄本百姓也,余ハ大野村入相ニ而,産物産業皆同し,腰林十四ケ所,野山入相なり,永慶寺川高ク田地窪所ニ而水難多シ,高多ク定地有て本百姓難凌」と記している明治4年広島県に所属同15年大野村の一部となる中津岡川以西,現在の字郷の一部と縄田・下の浜あたりの地
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421723
最終更新日:2009-03-01




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