ケータイ辞書JLogosロゴ 倉橋町(近代)


広島県>倉橋町

 昭和27年〜現在の安芸郡の自治体名。倉橋島村が町制施行し,同時に改称して成立。大字は編成せず。なお地内は本浦・尾曽郷・須川・西宇土・大向・重生・灘・宇和木・釣士田・長谷・尾立・室尾・大迫・海越・鹿老渡・鹿島上・鹿島中・鹿島下などの集落に分かれる。役場は本浦に設置。昭和27年本浦に県立音戸高校倉橋西分校,同28年室尾の袋に県立音戸高校倉橋東高校が開校。同29年両校が統合し県立音戸高校倉橋分校となる。同年宇和木〜本浦間に呉市営バス運行開始。同年町立診療所が本浦に完成し業務を開始する。同年離島振興法の適用を受け,島内の道路網の整備が進む。同32年簡易水道が釣士田で給水を開始したのをはじめ各地区の給水が進む。同34年桂浜隧道開通,本浦〜室尾間にバス運行開始。同36年音戸大橋開通,自動車による本土との直接通行が実現。同42年島東南端までバス運行。明治31年豊田郡豊町の大長から導入されたミカンは昭和30〜40年にかけて急激に増産され倉橋ミカンとして当町の農業の中心となる。同42年には倉橋町農業共同組合により袋内地区に県内最大の選果場を新設,良質のミカンの共同出荷を図った。しかし生産過剰・他地域の参入,品質の低下なども加わり,大豊作の昭和47年に大暴落が起こった。以後,摘果による品質向上,生産調整が進められている(袋内の石材搬出は続行中)。同年本浦〜大向間に町営バス運行開始。同48年能美島との間に早瀬大橋,同50年鹿島との間に鹿島大橋が開通。同50年県立音戸高校倉橋分校が県立倉橋高校となる。この頃から各地区の公民館・コミュニティーホーム・生活改善センターなどの建設,各小中学校の校舎改築が進む。世帯数・人口は,同50年3,582・1万1,409,同55年3,562・1万774。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421775
最終更新日:2009-03-01




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