ケータイ辞書JLogosロゴ 栗村(近世)


広島県>西城町

 江戸期〜明治22年の村名。奴可郡のうち。広島藩領。明知方。村高は,元和5年「知行帳」1,389石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに821石余。「芸藩通志」によれば,戸数69・人数437,村の広さは東西5町・南北31町,枝郷は大戸,牛116・馬42,大戸は「農余炭薪を西城町に出し売る」とある。溜池は大戸の大加禰峠池・岩見谷池。神社は大森神社と岩見大明神。寺院は曹洞宗三峰山浄久寺,大富山城城主宮高盛の開基,寺伝では天文3年(芸藩通志では永禄10年)の創建。菅村の徳雲寺5世桂抱の開山であるが,桂抱は徳雲寺2世宗梅を開山とした。宮氏の菩提所として栄え,宮氏の位牌・系譜などがある。大戸は正徳年間と明和年間は独立村,他は栗村に属した。水利は,本郷に井手5・溜池3,大戸には井手16・溜池4(国郡志書出帳)。安永2年建設の「栗の大溝」は仁連原の栗井手により西城川から取水し,35町を灌漑する。明治4年広島県に所属。同9年小学校創設,同12年栗・平子連合小学校となり,同17年大戸小学巡回授業所開設。明治14〜16年の間,浄久寺に奴可三上郡立師範学校が置かれた。同21年の戸数98・人口663。同22年西城村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421782
最終更新日:2009-03-01




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