ケータイ辞書JLogosロゴ 黒瀬村(中世)


広島県>黒瀬町

 南北朝期〜戦国期に見える村名。安芸国賀茂郡東西条のうち。豊田郡安浦町の西福寺聖観音像納入摺仏紙背に「正慶元年黒瀬村内海方□田検注支配事」とある(西福寺文書)。永正6年8月13日の大内義興下文に「黒瀬村内岩屋名参貫七拾文足〈黒瀬彦三郎重実先知行分〉」などを神保信胤に宛行うとあり,後世にも神保氏は年未詳2月10日の小早川氏奉行人連署書状で黒瀬表に5貫文を給されている(千葉文書)。また大永3年8月10日の安芸東西条所々知行注文に「黒瀬 三百貫 大内方諸給人」「黒瀬乃美尾百貫 金蔵寺領」とある(平賀家文書)。黒瀬村はかなり広範囲であった。戦国期には厳島神社の社領があり,慶長5年5月2日の毛利輝元安堵状写に「黒瀬村之内郷原,厳島神力寺領379石7斗余」(辛未紀行所収文書),慶長6年5月9日の厳島社領棚守元行拘分高辻物成注文に「くろ瀬むら四拾石,物なり拾弐石」と見え,これらを合わせて慶長6年5月9日の厳島社領高辻物成覚では高452石3斗9升であった(野坂文書)。郷原は現在呉市の北東部にあたり,黒瀬村はかなり広範囲であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421815
最終更新日:2009-03-01




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