ケータイ辞書JLogosロゴ 桑田村(近世)


広島県>美土里町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国高田郡のうち。元和5年「知行帳」には鍬田村と見える。広島藩領。明知・給知が入り交じる。正徳2年には浅野帯刀の給知。村高は,元和5年「知行帳」,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに295石余。戸数・人数は,正徳2年の所務役人頭庄屋郡邑受方記123・369,「芸藩通志」126・595。「国郡志書出帳」では,田25町余・202石余,畑5町余・20石余,屋敷6反余・9石,高11町余・63石,社倉1・土蔵11,牛67・馬26,農間余業は「駄賃・炭木・扱苧・日商内・なわ・むしろ」。角保(高沢家)が中心となり明治初年まで鈩製鉄が行われた。神社は八幡神社,社伝では天文3年気比神宮から勧請。寺院は浄土真宗大心寺,延宝元年大心の開基,もと真言宗願徳寺と称す。ほかに観音堂がある。山県郡惣森村から鉄穴峠へ至る道が通る。橋10,井手19・小溝7・雨池1を数える。明治3年の戸数122・人口680。同4年広島県に所属。同7年同寅館が開設され,教師数1・生徒数30(男24・女6),同11年桑田小学校となる。同22年生桑村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421828
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ