ケータイ辞書JLogosロゴ 香淀村(近世)


広島県>作木村

 江戸期〜明治22年の村名。備後国三次【みよし】郡のうち。慶長年間に別作村が分村して成立し,明暦年間の地詰帳では「江淀」と記されるという(国郡志書出帳)。はじめ広島藩領,寛永9年三次藩領,享保5年から再び広島藩領。明知。村高は,元和5年「知行帳」634石余,「芸藩通志」364石余,「天保郷帳」634石余,「旧高旧領」364石余。享保7年の戸数77・人数297,紙漉42(三次郡覚書)。「国郡志書出帳」によれば,戸数108・人数409,村の広さは東西15町・南北2里19町,牛67・馬18,鈩1,鉄山1,川船6,神祠4,寺院・堂2,村柄は「紙すき」と「小炭など少々焼出し」村内の藩営熊見鈩場へ出荷して生活しているという。同鈩所は嘉永2年に民間経営が許可されている(歳代記)。三次郡川下組の村々の中でも特に楮紙の生産が盛んで,「国郡志書出帳」によれば「就中,香淀,門田村之内ヨリ漉出申候分も多分に御座候」と記し,「芸藩通志」も「川下四村紙を製す。諸紙もあれど,多く杉原紙なり,故に三次杉原の名あり」と三次杉原紙の産地であるとしている。迦具神社は古くは愛宕権現と称し,延喜年間の勧請と伝える(芸藩通志)。明治4年広島県に所属。同9年峠下に香淀小学校を創設。同17年官選戸長制では,上作木村・門田村・大山村とともに連合村に編成され,当村に戸長役場が設置された。同20年営業税納入者は,牛馬売買免許者1,小舟所有者23,菓子小売1。同22年作木村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421909
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ