ケータイ辞書JLogosロゴ 五箇村(近世)


広島県>総領町

 江戸期〜明治22年の村名。甲奴郡のうち。はじめ福山藩領,元禄11年からは幕府領。村高は,元禄12年備前検地や「天保郷帳」「旧高旧領」ともに543石余。享保13年の人数117,屋敷地1町余(領家の昔/総領町の文化財)。神社に意加美神社と上野権現社がある。明治元年倉敷県を経て,同4年広島県に所属。明治初年松山からは製鉄用のふいごを踏みに鈩原に通ったという。製品の鉄材は馬の背に乗せられてかねか峠を越えて三次【みよし】に運ばれ,島根県地方へ送られ,原料の砂鉄はこの経路を逆に送られてきた。松山でも鉄穴流しが行われたという。鈩跡は鈩原松山一帯・田尻上などにある。松山の渡辺太郎氏の家には運送業の鑑札が伝えられる。同21年の戸数138・人数877。同22年市制町村制施行による五箇村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421913
最終更新日:2009-03-01




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