ケータイ辞書JLogosロゴ 御所崎(中世)


広島県>尾道市

南北朝期〜室町期に見える地名備後国御調【みつぎ】郡栗原保のうち尾道浦の一部をなした「師守記」康永4年5月15日条に「備後御所崎安堵申次,且壱結了円沙汰進了,予取之,今一結未進」とあり,当地の年貢を請負った兵部入道了円が中原師守に安堵申次料銭を納入している中原師守は大炊寮頭中原師茂の弟で,当時,栗原保申次を勤めていたまた同じく大炊寮領の歌島や祓町を請負っていた岩崎祐慶は同年4月に「御所崎一宇」の屋敷を師茂に安堵され,「御所崎地子七百二十文」を上納している(師守記康永4年4月9日・12日条)このことから,当時,すでに当地は地子銭を納めるような町場となっていたことが知られるついで,永享11年〜文安4年の備後国大田荘年貢引付(高野山文書)に「又一通 九石八斗五升 尾道御所崎次郎参郎ノ船ニツム 同(永享)十三年二月廿二日在」などと見え,当地に籍を置く船が高野山領大田荘の年貢を堺港(大阪府)まで運んでいるこれによれば,船数は11を数え,千福・真木造・次郎左衛門・彦衛門らの船には数回にわたって米・大豆が積み込まれたことが確認される当地は隣接する土堂と並んで港湾都市尾道浦の中枢をなしたといえる宝土寺鐘の長享3年銘文に「大日本備後州御調郡栗原保尾道之浦御所崎宝土寺」,光明寺鐘の延徳4年銘文に「備後州御調郡栗原保尾道御所崎光明寺」とある(日本古鐘銘集成)近世の御所町にあたる現在の尾道市東御所町・西御所町は当地の遺称地
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421935
最終更新日:2009-03-01




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