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広島県>芸北町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国山県郡のうち。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」では「さいおと村」と見え154石余,正保3年の地詰帳,所務役人頭庄屋郡邑受方記,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに294石余。享保12年の山県郡村々諸色覚書によると,戸数は本百姓59・小家8・浮過4,人数325。「芸藩通志」によれば,畝数34町余,戸数77・人数416,牛50・馬58,「居民農余,板箕・行縢・蓑衣などを造り,又砥石など,出雲石見諸国の間に出売り,活計をなす多し」とある。氏神は大歳神社・冠神社の2社,寺院は浄土真宗光楽寺・順覚寺の2寺があった。明治4年広島県に所属。同22年中野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7421981
最終更新日:2009-03-01




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