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- 幸町(近世~近代)とは
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幸町(近世~近代) 江戸期~昭和42年の町名江戸期は餌差町とも称し,水戸城下上町の1町明治22年からは水戸市上市のうちで,昭和8年からは水戸市の町名水戸城の西に位置する武家町「新編常陸」によれば,諸士の宅地3戸のほかは餌指・鷹匠・同心の住居で,当町北端の清泉を金名水といい,会沢正志斎は天明2年当地に生まれたとある「水府地理温故録」によれば,金名水は砂利から湧き出して前の堀へ流れ,干天も減ぜず,30~40年前下の堀に銀名水があったといい,上町の酒屋は金名水の水で酒を製して金名酒と名づけた寛政9年の武家屋敷数7(水戸の町名)明治22年までに泉町片町を編入したと思われるが未詳明治期水戸士族菊池康が住し,長男清は「己が罪」など家庭小説で有名な幽芳,五男は洋画家五郎昭和25年の世帯52・人口206(同前)東側が昭和41年南町3丁目・梅香2丁目,西側は同42年泉町1丁目・備前町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
幸町(近世~近代) 江戸期~昭和6年の町名古くは寺地で,のち武家地となり,元禄3年武家地を収公,ここに幸橋門外の幸町の町屋を移して町名を継承明治元年東京府に所属同5年の戸数135・人口508(府志料)同11年京橋区に所属昭和6年八丁堀【はつちようぼり】3丁目に編入... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」