ケータイ辞書JLogosロゴ 山南郷(中世)


広島県>沼隈町

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。備後国沼隈郡のうち。鎌倉期の3月13日付沙弥覚道書状(厳島神社所蔵反古裏経文書/史学雑誌61-3)に「ひんこの国さんなうけところの事,本はひるのきやう部さゑもん入道知行所にて候」とある。当郷は比留左衛門太郎が祖父刑部左衛門入道から伝領し請所として知行していたが,この時に歌島の荘官三郎が年貢請負に当たることになったらしい。観応3年6月29日付渋川直頼譲状(渋川古文書/御調郡誌)には直頼が子息金王丸に譲与した所領の1つに「一所 同(備後)国山南郷」が見え,南北朝期には九州探題渋川氏一族の所領となった。戦国期には渋川氏の勢力が後退,天文6年森脇(現沼隈町中山南)の要害に拠った桑田氏が郷内に勢力を伸ばした。天文16年11月には「山南之郷田中新次郎給地」が渋川義正から桑田藤三に与えられ,翌17年8月には「山南郷岡本九郎次郎給地并森迫名もりわき名納所」がやはり義正から桑田寅千代に宛行われている(桑田文書,山南桑田文書/沼隈郡誌)。郷内には渋川頼基の帰依した浄土宗悟真寺,真宗光照寺などがある。光照寺蔵の黒谷法然聖人画像墨書銘に「建武五歳戊寅□□後国布熊郡山南郷光照寺也」と記す。また文明17年閏3月29日付備後国尾道権現堂檀那引注文に「同(御調郡)山南 山北悉皆」,実報院諸国檀那帳にも「山南」と当郷が見える(熊野那智大社文書)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422081
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ