ケータイ辞書JLogosロゴ 重井荘(中世)


広島県>因島市

 鎌倉期〜室町期に見える荘園名。備後国御調【みつぎ】郡因島のうち。建治2年8月日付備後国諸荘園領家地頭注文(教王護国寺文書)に「重井浦〈同領家 左近大夫将監入道正円 地頭御家人左衛門尉秀氏伝領也〉二反百廿歩」とある。平安末期に成立した因島荘から分かれたもの。領家職は後白河上皇から皇女宣陽門院に譲られた。地頭職は北条一門が保持したが,御家人秀氏に宛行われている。秀氏は当地土着の者で北条氏の被官人であろう。鎌倉幕府が滅亡すると,闕所となった当荘地頭職は,元弘3年11月,後醍醐天皇から尾道浄土寺に寄進された。建武4年10月日付因島中・重井・三津三荘地頭方年貢注文(浄土寺文書)には「重井庄分」として名ごとに賦課する塩152俵(代銭12貫余)・色々銭納物996文などの地頭得分が記されている。同5年には因島のうちとして足利尊氏によって東寺に寄進されたが,この頃から安芸国沼田荘の小早川氏が実力で島内に進出した。年未詳の因島地頭分押領人交名(教王護国寺文書)に「一重井庄 杉原名子〈木なし・ほかう〉両人」と見え,当荘は備後国木梨荘を本拠とし,尾道に勢力のあった国人杉原氏の被官に押領されている。室町後期には,因島村上氏の勢力が拡大し,当荘の中央部の丘陵に青木城(県史跡)を築いて本拠とし,北西部の馬神山に出城を築いている。なお,金蓮寺(現因島市中庄町)の宝徳2年瓦陰刻銘に「自重井材木石瓦土打三度合力当島皆参也」とあり,当荘の者が金蓮寺造営に参加したことが知られる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422103
最終更新日:2009-03-01




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