ケータイ辞書JLogosロゴ 下石村(近世)


広島県>豊平町

 江戸期〜明治22年の村名。安芸国山県郡のうち。広島藩領。村高は,慶長6年検地251石余,元和5年「知行帳」215石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに251石余。「国郡志書出帳」によれば,広さは東西7町57間・南北3町20間,田畝28町2反4畝,牛52・馬16,村の主要産物は米,副業としては駄賃稼・炭焼き・麻・茣蓙・藁仕事・木綿織りなどがあった。「芸藩通志」では戸数61・人数293。天文年間に吉川元春は居城を新庄小倉山から中山日の山へ移転,居館を吉野原(海応寺)に構えた。この頃この地は日の山城の城下町として繁栄し,八百屋・塚本・菊屋小路・磨屋小路など商家街を表わす地名や,平佐軍兵衛屋敷・石七郎兵衛屋敷・相人寺址・岡田屋敷・御鷹屋敷など,寺院跡や屋敷跡も多く残っている。亀宝山元成寺は永禄7年開基で真言宗,寛永6年観浄の時真宗に改宗。同寺には現在地名の由来となる八色石がある。明治4年広島県に所属。同5年元成寺に開鏡舎を創立,当初は隣村舞綱【もうつな】の子弟も通学した。同12年下石学校と改称,寺岡ヒサ宅に移り塚本隆三郎宅・向田増吉宅などを教場とした。校名も同19年には下石小学巡回授業所,同20年には下石簡易小学校となる。同21年の戸数65・人口350。同22年原村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422169
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ