ケータイ辞書JLogosロゴ 下板木村(近世)


広島県>双三郡三和町

 江戸期〜明治22年の村名。三次郡のうち。はじめ広島藩領,寛永9年三次藩領,享保5年から再び広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」655石余,享保7年の「三次郡覚書」も同高,「芸藩通志」427石余,「天保郷帳」655石余,「旧高旧領」427石余。「三次郡覚書」では戸数68・人数318。「芸藩通志」によれば,村の広さは東西15町・南北20町,戸数97・人数426,牛61・馬33,池は城江池・国宗池・中堤池・下市池・奥池・的場池・近国池・野竹池,「此地,時に旱に苦しむ」という。また御建山は三角山。照恵山照円寺は浄土真宗本願寺派,村内国光城主の末裔三浦平十郎義定が寛永年間天台宗に入り,照円と称したことに始まる。のち寛文年間に改宗,清光庵と称す一宇を現在地に建立,慶応元年寺号を許可された。明治4年広島県に所属。同10年下板木尋常小学校を設置。同21年の戸数109・人口528。同22年板木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422172
最終更新日:2009-03-01




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