ケータイ辞書JLogosロゴ 下作木(近代)


広島県>作木村

 明治22年〜現在の作木村の大字名。明治24年の戸数199・人口985。作木村の行政・経済・文化の中心地。明治22年大原に村役場を置くが,大正期に田ノ口に,昭和49年現在地に新築移転。明治〜大正期にかけて江の川の水運が発展し,河口の江津と上流各地を結ぶ川船の中継港として港地区は繁栄した。大正14年港地区には,卸小売7・製造販売5・旅館飲食料亭4・運送3・製造4・医者2,「貨物の集産夥しく,前には江の川を控えて白帆の往来絶間なく石州通いの船,必ず寄港す」と記している(作木村誌)。大正期に入り,発電用のダムが建設されて水運は衰え,乗合バスに変わる。大正13年にバスが三次〜大津間を運行した。第2次大戦後,昭和24年県立三次高校の分校設立。同48年現在地へ新築移転し,村立中学校も統合される。昭和38年国鉄三江南線(現三江線)が開通,港地区の対岸島根県側に同線作木口駅が開設され,村営の渡船で乗降客を輸送した。同47年7月県下を襲った集中豪雨の被害は特に当地の港で多く,家屋全壊8戸・床上浸水70戸にのぼった。その復旧は土地区画整理事業により,地域全体を構造的に変える計画が推進されている。昭和56年の世帯数193・人口624。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422211
最終更新日:2009-03-01




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