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- 新市村(近世)とは
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新市村(近世) 江戸期~明治10年の村名伯耆【ほうき】国八橋【やばせ】郡のうち甲【きのえ】川下流右岸に位置し,伯耆街道(米子往来)に沿うもとは赤坂村の枝郷で,享和3年地先新田として幕府に届出,天保5年に分村した(藩史5)「天保郷帳」50石余(うち新田高13石余),「元治郷村帳」56石余,「旧高旧領」57石余元禄の本免は2.1,「元治郷村帳」の物成は9石余文久2年の家数10・人数43,林畝数1町余(八橋郡村々諸事書上帳)延文年間の頃,岩井垣城主箆津豊後守の家来尾谷金兵衛が当地に館を構え,毎日岩井垣城に通ったといわれ,現在もこの館跡を尾谷屋敷と呼び,岩井垣城に通った道も殿様道路として山中に道路跡が残る安永年間に永見姓は弓浜部から移転,関井姓(石見屋)は石州温泉津の商人であったが定着し開拓に当たった山根姓は文政年間頃より山番として定着したとされている明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年上田村と合併して住吉村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新市村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」