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広島県>高野町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ高野山村,明治35年上高野山村,昭和30年からは高野町の大字。役場が設置され,行政・文化・経済の中心としての役割を果たしてきた。明治24年の戸数242・人口1,321。明治末期から各方面への道路改修工事が始まり,大正11年庄原,同13年三次,同14年島根県阿井へ乗合バスが運行。大正11年電灯がつく。同14年本誓寺前に共楽座という芝居小屋が建った。明治43年新市尋常高等小学校(現新市小学校)が新築移転。祇園神社の秋祭りに奉納される祇園角力は近国の出世角力の1つとして知られ,島根県・鳥取県からも力士が集まってにぎわった。昭和22年新市小学校の一部を仮校舎に上高中学校が開校,同26年新校舎へ移転,同46年下高中学校を合併。昭和26年新市小学校の一部を借りて広島県比婆西高校高野山分校(現県立庄原格致高校高野山分校)が開校,同37年全日制となる。同42年商店街に火災発生,21世帯・61人が罹災。同50年町立山村開発センター落成。世帯数・人口は昭和45年287・1,107,同55年265・908。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7422341
最終更新日:2009-03-01




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